人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

リアルを重視する必要は全くない

コロナにより、リモート会議やリモートアクセスが増え、その便利さや効率性が浸透した反面、対面やライブ感、実体験という「リアル感」が、やはり重要である、と、よく意見を聞く機会があります。

 

私は、そういった「リアル感」にこだわることが大嫌いなので、それはそれでかなり偏った考え方だと思うのですが、結局、この「リアル感」といったものについては、そこに参加する人たち全員の「熱量」が本当に高い場合については、有効であり、重要だなと思います。

 

そして、少なくとも、その「リアルな場」が必要だ、と主張する人が、「リアル感」へのこだわりが薄い場合や、参加する人のほとんどが、その「リアル感」へのこだわりに辟易としている場合には、ほぼ無意味と思っています。

 

「リアル感」とは、五巻を総動員してその場の、人、物、空間、雰囲気すべてを味わうことで、そこに参加している人のほとんどがその気がないと、「リアル感」そのもの意味が薄れてきます。

 

ましてや、リアルな場を提供したり、リアルな場を作る主催者が、義務感をもってそれをやっている場合などは、やる意味そのものがないと思います。

 

「リアル」に触れれば、「リアル」を増やせば、「リアル」さえあれば、いろいろなものが改善され、いろいろなものが今よりもよく、いろいろなものの本質に近づくことができる、と思いがちですが、そのような期待だけでは、ほとんど効果がなく、「リアル」を感じ尽くしたい、味わい尽くしたい、という思いを少なくとも、本人だけは持っていないとダメですし、そのような思いを持つ人を集めたり、もしくは、そのような思いを皆が持てるような場を作っていくことが重要なのです。

 

そのような「リアル」の楽しさや重要性が、あまり伝わっていない状態で、「リアルは重要」と主張して人を集め、場を作ってしまうと、「リアル」への参加と場作りに関しては、それなりの稼働とコストが必要になるため、士気があがるどころから、逆に下がってしまうわけです。

 

「リアルは大事」と主張する前に、「リアルの方がリモートよりも、手間も時間もかかるけど、それを超える楽しみや発見がある」とイメージでき、そして、その期待を裏切らないものを提供することが重要です。

 

そのように考えていくと、特に仕事や学校などにおいては、そこで費やしている時間の大半のものについては、「これはリアルじゃなきゃダメでしょ!」と言えるものは極めて少ないのではないかと思っています。