人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

嫁姑問題は、たいてい、●●が悪そう・・・。

昔は嫁姑問題というものがありましたが、今はそれほど問題になっていません。

 

どうしてかというと、当然のことながら、二世代が同居するということが少なくなってきているからですが、同居そのものが問題ではなく、同じ空間で二世代が自由に生きることができなかったあめです。特に嫁側の方が自由に生きることができないケースが多いです。

 

構造的には、姑側の家に嫁いでくるということが大半なので、イメージとしては、姑側の空間に嫁がいきなり入ってくる、そして、それだけでもう自分がいる空間の中に異質なものが入った感覚であるのに、さらに嫁が姑の想い描いているようりも足りてないというところから、姑が嫁をいびり出す、というのが基本的な考え方になっています。

 

たしかにそういう可能性も高いと思いますが、実は、姑側がよほど人間ができてない限り、必然的に嫁をいびりたくなるような構造になっていることを理解しておく必要があります。特に、この人生100年時代においてです。

 

というのは、嫁が来た時点で、姑の、その家の中での存在価値や重要感については、嫁が来る前と比べて確実に下がってしまうためです。

 

特に孫ができた後は、家としては孫中心の生活になり、そして孫を支える一番の存在は嫁となるので、姑がどんなに家事をこなせたとしても、家における存在感や重要感は相対的に下がってしまうのです。

 

今までの家における存在感や重要感をキープするためには自分が偉い存在でないといけません。

 

ここで姑側に自己重要感があったりとか、性格的に他人から自然に慕われるような存在で、家族からだけでなく家族以外の人からも慕われるようなタイプであれば、それほど家の中での自分の立場というものに固執する必要はないのですが、そのような感じでない場合には、自分が重要な存在である、偉い存在であるということを、家族、特に嫁にはしっかりと認識させて、自分に従属する存在とさせないといけないことになります。

 

姑が、嫁以上のパフォーマンスを発揮できるのであればまだ理屈も付くのですが、女性がする家事においてそこまでの差がつくとは思えません。というよりも、嫁が発揮しているパフォーマンスそのもので家が回っちゃうケースも多いのです。

 

本来、その程度でいいにも関わらず、自分の立場をあげたいがために、嫁の立場を下げなければいけないので、家事や育児に関してなんだかんだ難癖をつけてくるわけです。

 

嫁姑問題はいろいろなケースがあると思いますが、姑側の自己重要感の保ち方が、家族の中で自分の立ち位置ではなく、自分自身の求める楽しさや興味に基づくものだったら、家族の中で自分の立場が仮に低くなったとしても、それは高齢化という年齢の問題であったり、子育てを終了しているという役割の問題であったりするわけなので、本来的には気にならなくなるはずなのです。

 

子育てを終えて、しかもこれからどんどん体も動きにくくなるのであるならば、当然のことながら、若い人たち比べて、家族の中での重要度が低くなることは当然です。これを受け入れられるか受け入れられないか、もしくは、その家族の中での重要度が低くなったことで、今までの足かせがなくなっったことで、逆に楽しめるか楽しめないか、そういったことが嫁姑問題につながる重要な分かれ道となります。

 

長らく家族の為に尽くしてきて、そのことが自分の人生において、かなり重要ではあると思うのですが、基本的には、家族とは関係なく、姑自身でいろいろなことに興味を持って人生を楽しむスタンスがどうしても必要なのです。

 

本当に嫁がいたらない場合もあります。ただし姑側の方で、自分自身の人生を楽しめず、家族が楽しみのすべてのような感じになっている場合には、嫁姑問題の大きな要因は姑側の方にある可能性が高いと思って間違いないと思います。

 

そして、人生100年時代に突入し、かつ、核家族化が主流になった現在では、ますます、自分自身でいろいろなことに興味を持って人生を楽しむスタンスが重要であり、そして、これがない限りは、同居や近所に住むということは争いの原因になりやすいのでやめた方がよいと考えています。