人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

お互いわかりあえるはずがないから、お互い違うことを尊重する

平等と差別について2回にわたって書いてきました。

 

 この平等と差別の話題の時に出る言葉としては「分かり合うことが大事」ということなのですが、正直、わかり合うことなんて100%不可能だと思っています。

 

極端な例で言うと、例えば、焼き鳥の棒を集めることを趣味としている人がいたとして、いろいろな居酒屋や焼き鳥店を渡り歩き、焼き鳥を頼むのはいいけど、肉の部分には全く興味がないので、肉はすべて取って残した挙句、棒だけ持ち帰る、という人がいた場合、こんな人とわかり合うことなんてできるのでしょうか?

※すべて架空の過程です。本当にこんな人いるか知りません・・・。

 

棒だけを集めて何が面白いのか、そして、焼き鳥の肉の部分を残してしまうことを理解しろ、わかってくれ、と言われても絶対無理です。

 

ただし、この人は自分が焼き鳥に対する思いと何が違うのか、どうして肉を好み、棒には興味ない普通の人と違うのか、という「違い」のところに焦点を当て、その「違い」は何なのかを認識しようとすることはできると思います。

 

それに賛同する必要は全くないのです。理解しようとする必要もないのです。ただ、この人はどういう理由でこういうことをしているのか、ということを把握するだけでいいのです。

 

これはダイバーシティ(多様性)に対しても同じスタンスでいればよいと思っています。

 

わかり合おうと思うと、無理が出ることが多いし、わかってくれないことで怒りが出るなど、感情面でのしこりを残すこともあります。

 

ただ、違いがあることを認識した上で、可能な限り、その違いがあることを尊重してあげることが重要だし、ダイバーシティ(多様性)を叫ぶ側、特に、多様性がなかなか認められてこなかった方も、わかってくれること、さらには、今までよりも優遇されることを望むというよりは、その違いを尊重してくれたことでよしとする、ぐらいのスタンスで良いのかなと思います。

 

お互いが歩み寄れば、お互いのことを分かり合える、と過度な期待は持たず、お互いの何が違うのかをきちんと把握して違う部分をできる限り尊重し合う方が、柔軟な関係を築けると思います。