人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

原因思考vs目的思考は目的思考の勝ち

原因思考と目的思考というものがあります。

 

簡単に言ってしまうと、原因思考とは「Aという原因があって、現在、Bという状態がある」という考え方、目的思考とは「Aという目的があって、現在、Bという状態がある」という考え方です。

 

目的思考は、目的論として、アドラー心理学として、「嫌われる勇気」という書籍にも出て、こちらの考え方を推奨していましたね。

 

 

「嫌われる勇気」等でもよく紹介されるとおり、例えば、引きこもりの人がいた場合、原因思考(原因論)では「学校や会社でひどいことがあったので、ひきこもった」と考えるのですが 、目的思考(目的論)においては 、学校や会社に行かないために 、もしくは、学校や会社に行かないと言う目的があって、ひきこもった 」と考えます 。

 

そしてアドラー心理学でも、目的思考を推奨しているのは 、例えば、この引きこもりの例の場合 、学校や会社でひどいことがあったとしてもひきこもらない人がいる、というように 、現在の状況が、必ずしも、その原因において実現しているとは限らないことを根拠にしています 。

 

私も、特に、人生に関わる考え方については 、目的思考の方がふさわしい、というよりも 、目的思考で生きて行った方が幸せになれる、と考えています 。

 

不幸な人や運のない人の共通する特徴として 、現在自分が不遇な状態にあることの分析をする際、過去の不幸で不運な出来事等を理由とする原因思考で考えるわけですが 、その考えた原因思考が極めて歪んだものになっている場合も多いため、不幸や不運の原因は自分以外のものにあるとか、全くあさっての方向に解決策を見出しているとか、その原因思考に基づく対策を実行しても 、人生が好転して行きにくいのです。

 

その自分にとって都合のいい 、自分が傷つかない 、自分を守るための原因思考に基づいて、その後も活動していることは 、ある意味 、過去思考であり 、今の不遇な自分を作っている道筋の 延長線にそのまま未来を描いてしまっています 。

 

ここで、目的思考をに基づいた場合には 、目的というものを歪んだ形で考えることはなかなか難しいです 。

 

なぜならば 、例えば 、先ほどの引きこもりの例についても 、引きこもっている目的として「学校や会社に行かない」ということはほぼ間違いありません 。

 

仮に 、この引きこもっている目的を「傷ついた自分の心を癒すため」と分析した場合には、それが本当であるならば 、家で引きこもらず外に出ることも可能ですし、学校や 会社に行きながら心を癒すこともできる、だから、この目的は 違うようだ、と自分自身でも検証しやすいのです 。

 

こうやって、今の自分の現状は、何の目的でそうなっているのか?を繰り返し分析して行くと、本当の目的に辿り着きやすく、そして、そこから、新たな解決策を考えたり、アクションを打てたりするわけです。

 

原因思考の場合には 、それが間違いなく正しいことなのかが非常にわかりづらいです 。先ほどの 学校や会社でひどいことがあったということも 、仮に そのようなことがあった人でも、学校や会社に行っている人がいる、という事実を知っても、自分の不幸はもっとひどいものだったはず、と他の事実や根拠を否定しやすいからです。

 

結局、原因思考とは、ある意味、過去に囚われてしまっている考え方です 。そして、目的志向は 未来を見据えた「仮定思考」とも言えます 。

 

そのため、原因思考に取りつかれている限りは 、先に進めないことも多いと思います。

 

一方、目的志向を前提としている場合には 、仮定思考でもあるので 、その仮定が誤っていた場合には、また別の仮定を設定し、その仮定が、自分の本当の現状を分析できるまで軌道修正することができますので、未来に向かって どんどん進んでいくことができます 。

 

そういう意味で 、人生を考えていく上では原因思考よりも、圧倒的に目的思考の方がふさわしいのです。

 

自分のやってきたことを振り返って反省して、自分をどんどん改善していく、という「原因思考」ベースの生き方も決して悪いことではないですが、現状分析も含め、未来を描いてそこに進んでいく、と言う意味でも、「目的思考」を中心に考える癖を付けていくと良いと思っています。