人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

田舎と長男

長野で警察官2名を含め4人が殺害される痛ましい事件が起きましたが、その犯人の分析として、堀江貴文さんが、田舎の長男であることを指摘されています。

 

※そのYoutubeのURLを貼ろうとしたのですが、削除されているらしく、切り抜きChのものしか見つかりませんでした。。。

 

私は、この分析については、かなり共感しています。

 

本当にこの分析が犯人の状況と合致しているかはわかりませんが、少なくとも、堀江さんが言っているように「田舎」の「長男」は、かなり厳しいし、つらい立場である、というのは当たっていると思っています。

 

「田舎」や「長男」が悪いわけではないのです。それを象徴しているもの、そして、その象徴に、親をはじめ、家族やその周辺の人たちが期待してしまうことが問題なのです。その象徴の意味は、こんな感じだと思います。

 

田舎・・・世襲を前提とした閉鎖的空間

長男・・・家父長制を前提とした先祖および親からの押し付けと全面的サポート義務

 

よって、このような要素を持っていれば、都会であったとしても「田舎的かつ長男的」と言えます。政治家や医者のような「代々●●一家」といったようなものです。

 

結局、このような状況にあると、個人が持つ個性や志向に関係なく、強制的に先祖代々連なる路線に、親によって導かれてしまいます。

 

そして、これは、親も子どもも意識的にも無意識的にも刷り込み、刷り込まれ続けるので、特に無意識に子どもに刷り込まれ、それが自分自身の本来持つ性質とは合わない場合に、病気や精神的な不調として現れてくる場合があります。

 

自分では、その親から引き継がれているものを、自らの意思でやると決めていても、無意識的に「決めさせられている」場合もあります。

 

「田舎的なものも長男的なものも嫌だ!」と思って、逃げる勇気や行動力があればよいのですが、その子がいい子である場合には、親を悲しませたりがっかりさせてはいけない、家族の役割をはたさなければいけない、と一生懸命「田舎」と「長男」に対応しようとします。

 

そして、その「田舎」や「長男」が嫌なのに、逃げる勇気や行動力がなくて逃げることができず、かつ、その「田舎」や「長男」の重責としがらみを背負う力がない場合には、「田舎」という閉鎖的空間の中では、常に、「ダメな人間」として自分を責め続け、そして、家族や他の人からも責められているのではないかと思ってしまうのです。

 

私自身は、先祖代々から受け継いでいる地盤も看板(知名度、名誉)もカバン(財産)もなく、身軽な身なので気楽に考えているところもありますが、基本的には、いかに自分の家族から「田舎的」「長男的」なものを排除するかがとても大切であると思っています。

 

そのためには、結局、「自分自身で自分の面倒をみる力」をすべての人が基本的には持つことが必要だと思っています。

 

なぜならば、「田舎」&「長男」は、良くも悪くも地盤・看板(知名度、名誉)・カバン(財産)を代々受け継くことが前提になっているからです。

 

自分自身で自分の面倒をみる力がない人でも、地盤・看板(知名度、名誉)・カバン(財産)を自動的に受け継いでしまえば、それなりに生活ができてしまう、ということも問題ではあるのですが、それ以上に、私が問題と思っているのは、地盤・看板(知名度、名誉)・カバン(財産)を自分の代で精算せずに、そのまま子どもに受け継がさせてしまうという方が問題だと思っています。

 

これは、簡単にそれを子どもに受け継がせたら、子どもを甘やかすことになるからダメ、という意味ではありません。

 

代々受け継がれていたとはいえ、それを受け継いだ時点ですべての親のものですが、その親の所有するものすべてを子どもが欲しいかどうかなどはわからないわけです。

 

そして、親が今持っているものを子どもが受け取ってくれる方が、親としては楽なのです。なぜなら、それが代々受け継がれてきたものなら子どもに受け継がせられないとその流れを止めてしまった責任に苛まれますし、さらに、子どもが受け取らない場合には自分が何らかの形でそれらを処分をしなければならないので大変なのです(ただし、この処分については、子どもが受け継がないのが悪いのだ、として、何も処分しないで実質的に残った子どもたちに押し付ける可能性もありますが・・・)。

 

自分の生きる人生、生きてきた人生に責任をもって、自分の面倒は全部自分でみることを前提として、子どもや残される関係者たちには遺恨や面倒を残さない、こんな思いで人生を送ろうとするならば、その人から発する、嫌な「田舎」や「長男」を求め礼賛するような「悪臭」は霧散していくと思います。