舞台から下りればクリーニング効果が高まる
今、私たちは、「現実」という舞台に立っているわけですが、その舞台にいたまま、そこで起こっていることをクリーニングしている場合、私たちは、舞台役者としてクリーニングしているわけです。
ところが、今目の前で起こっていることを「記憶」と捉えた場合には、ある意味、目の前で起こっていることは「舞台」の上でのことであり、それを見ている自分は舞台から下りた観客席のような場所ということになります。
すなわち、その目の前で起こっていることを「観察している人」になるわけです。
目の前で起こっていること、すなわち、「記憶」を観察することができるようになっていれば、「記憶」と「自分」を完全に分離でき、客観的にそれを捉えることができます。客観的に捉えることができれば、「目の前で起こっていること」をクリーニングするのではなく、自然と、目の前で起こしている「記憶」をクリーニングすることができていることになります。
逆に、目の前で起こっていること、そのものをクリーニングするということは、そのことを「リアルなこと」としてクリーニングしていることになります。
このように、一度、舞台から下りて、その舞台で起こっていることを「観察している人」になっていると、心の中で感じていることや思っていることも客観的に見つめることができるので、それを「記憶」としてクリーニングしやすくなります。
たとえば、失恋して「とても淋しい」と心の中で痛みを感じた時、「とても淋しい」という気持ちをクリーニングしている場合は、先ほどの例で言うと、目の前で起こっていることそのものをクリーニングしている状態です。
「とても淋しいと自分は思っているな」という状態をクリーニングすると、一度、舞台から下りた状態で舞台を見つめながらクリーニングしている、すなわち、「記憶」をクリーニングしていることになります。
このように、一度、舞台から下りて、「観察する人」になりクリーニングをすることが、クリーニングをより効果的にするわけですが、この「観察する人」になることは「メタ認知」していることになります。すなわち、自分自身を客観的に見つめ、自分自身の状態を第三者的に把握している状態です。
この「メタ認知」ができているだけでも、「記憶」でいっぱいになっている状態、「記憶」で曇っている状態から改善できているわけですが、さらに、その客観的に見つめた自分自身をクリーニングできることが、ホ・オポノポノが素晴らしいところなのです。