基本的に人は自分の得になることしかできない
人間は基本的に自分の得になることしかできないと思っています。
そんなことはない、世のため人のために、粉骨砕身している人がいるじゃないかと反論されそうですが、そのようなことができる人にとっては、人のため、世の中のために粉骨砕身することが、自分にとって得であり心地いいからやっているのです。
ここで勘違いしないでいただきたいのは、世のため人のために行動することが、いずれ自分の利益になって返ってくることを期待しているわけではないのです。
本当に、世のため人のために行動することそのものが、心地ちよく、自分にとって得だと思っているからです。
自分にとって特になること、言い換えると気持ちいいことを実行し続けることは、周囲の人がその行動を迷惑とか嫌なものだと思っていない限りは、その行動そのものを明るく楽しくできているので、自分自身も元気が出るし、それに接してい人も明るい気持ちになり元気をもらえます。
つまり、何が自分にとって得になるか、何を本当に自分は気持ちよくできるのかということを追求して行くことはとても重要なのです。
そして、その自分にとって得になることや気持ちよくなることというものが、自分のためだけではなく、他の人や社会のためにも得になるようなことができていると、さらに自分の幸せ度も増すことになります。
これが、最初から自分の特になるか、心地いいことなのかを無視して、世のため人のためを最優先に考えて行動した場合、「世のため人のため」という他への貢献の尊さや重要さは世間体的にも建前的にも非常にきれいで恰好いいものなので、自分の本当の気持ちに反してもそちらを優先してしまうことになりやすいのです。
そして自分の本音や本当の気持ちを押し殺して、世のため人のために尽くすことをし続け、疲れ果てて、生きるエネルギーが枯渇してしまうこともあるのです。
私は、子どものうちそして若いうちには、自分の得になるかどうか、自分が心地いいかどうかの感覚に、もっと素直であっていいと思っています。
そして、ちょっとだけ大人になったら、そちらの気持ちを優先しつつも、あまり角が立たないような感じで世のため人のためにもちょっとずつ貢献して行く領域を増やしていく、という感じが良いのではないかと思っています。
さらに、自分の得になることが、常に人や社会のためになるような接点がないのかを追求し続け、自分にの得になることや気持ちのいいと思うことを常にやり続けられるような人生を構築して行くことが、結果として自分にも他の人にもそして社会にも一番の得になっていくのです。
歴史においても、様々な発明やイノベーションが生まれたのは、人のためや社会のため思う強い気持ちからかもしれませんが、そういう強い気持ちを持ちながら行動して行くことそのものが、その人にとって、自分の得になり、かつ、心地良かったわけです。
逆に言うと、やらないことそのものが、気持ち悪くイライラしてしまうのです。
このように、まずは自分の得になることや自分の気持ちいいことに素直であり貪欲であることを自分に許し。その後、それを他の人や社会にまで影響範囲を拡大していったり、他の人や社会によりマッチングしたものになるようなチューンナップをして工夫をしていくことが、最も、自分以外にも思いやりを持ちつつ、自分の心にストレートに生きるコツだと思っています。