依存しているとボケてしまう
以前、依存する老人は疎まれてしまうということを書きましたが、さらに、依存しているとボケてしまう、という、さらなるデメリットがあります。
上記のブログでも書いたとおり、家族と一緒に過ごすことがいい、若い人に面倒をみてもらうことが幸せ、というのは、ある意味、若い人たちに自分の人生を預けてしまうことになります。
本来、自分の人生を他人に預けてしまった場合、他人の事情や都合に左右されてしまうため、本来的には不自由な生活を強いられることになります。
ところが、「家族」というカテゴリとヒエラルキーは強烈で、親も子どもも無意識に「親は偉くて大切にするもの」と思っているところがあります。
そして、家族と一緒に過ごすことがいい、若い人に面倒をみてもらうことが幸せ、と考えている老人、特に、同居して四六時中一緒にいるのが理想、と考えているような人は、間違いなく「子どもは自分の言うことをきいてくれるし、身の回りのことは黙っていてもやってくれる」ということを暗黙のうちに期待しています。
そして、子どもも親は大切にしたいという思いはあるので、このような親の期待を受け入れてしまうと、自身の好む好まざるに関係なく、義務感でも親のやってほしいことをやってあげることになり、結果として、親が自分で考え、自分で判断し、自分で行動する、という領域をどんどん少なくさせてしまうのです。
このように、親は子どもに大切にされたい、という思いがあり、子どもは親を大切にしたい、という思いがあると、親が自分のことは自分でやる、という気概がないと、子どもが、高齢になっている親に対して、ボケないために自分のことは自分でやってよ、と言いにくいところがあると思います。
とにかく、老人は、自分がボケないためにも、家事などをして体を使うことで、体力と筋肉を付け、出来る限り長く動ける状態を維持すること、そして、日々の生活を自分自身で切り盛りし、問題が発生したり、不満・不便なことが発生したら、可能な限り一人称で対応していき、頭と言語能力を自然と鍛えていくことが重要です。
これを老人が実践することで、ボケずに健康寿命を延ばすことができますし、さらに、子どもたちに手間をかけさせて嫌われることもなくなります。
「自分自身で全部やってしまったら、子どもたちとの触れ合いの機会がなくなってしまうではないか」と思われる方もいらっしゃると思いますが、全くの逆で、高齢になっても自分自身で生活しようとしている姿は真摯で健気に感じますし、普段できていないサポートもしてあげたいという気持ちも高くなります。
また、人に依存せず、人に期待せず、しっかりと自分自身で踏みしめている生活から得られる経験、知識、楽しみなどは、それを共有すると、楽しくもあったり、参考になったりもします。
子どもたちに依存し、子どもたちが全部やってくれる環境にいると、子どもたちが日々得ている経験、知識、楽しさの幅を超えることも、別領域になることもあり得ません。間違いなく、子どもたちのそれと同じ領域かつ小さなものになってしまいます。
そうなると、会話をしていても、全く楽しくないのです。そして、話がつまらないから、仮に同居していたとしても心理的な距離感は離れてしまい、その距離を縮めようと、愚痴や泣き言を言ったり、もしくは、親は偉い存在であることをアピールしたりする結果、さらに嫌われていくこととなるのです。
このように出来る限り長く、自分で自分のことをやれるようにすることはメリットしかありません。自分で自分のことをやれる時間を長くするような、ありとあらゆる工夫をすることが、結果的に、自然と頭と体の健康も維持することにつながり、結果として、ボケにくい状態を作ることになります。
間違っても、自分の生活を全部若い人に任せて、自分はボケないためにゲームで脳トレをする、といったような本末転倒なことは避けた方が良いと思われます。