人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

我欲がピュアな心を覆い隠す

人は、心の底では、とてもピュアな気持ちを持っていて、そのピュアな気持ちがそのまま外に出ていて、しかも、そのピュアな気持ちが他人にも伝わっていると信じていることがあります。

典型的なのは、親の子どもに対する愛情です。

 

親が子どもに対して話していること、やってあげていること、思っていることすべてが、子どもに対する愛情に基づくもので、それは、子どもにしっかりと伝わっていると信じている親も多いと思います。

 

しかし、残念ながら、その愛情が伝わっていないケースも多いです。伝わっていないだけならまだましで、その話していること、やっていること、思っていることすべてが嫌で、つらい気持ちになっている場合もあります。


そして、自分の愛情が伝わっていることを信じていたのに、伝わっていないどころか、最悪の場合には、全く逆に捉えられていることを知り、愕然としたり、悲しい気持ちになったりもするのです。


なぜ、このようなことが起こるかというと、人は、自分自身の心の底にあるピュアな気持ちというものに基づいて、清く、正しく、愛情深く接していると信じているのに対し、実際に外に出ているもの、例えば、子どもと接している時に出ているものは、自分よがりの欲求であったり、自己保身であったり、相手のためではなく、自分のためのことが多いからです。

 

しかし、自分で感じ取っているのは、あくまで、心の底にあるピュアな気持ちの方であるがゆえに、相手にしている言動が全然あいてのためでなく自分のためであることが見えなくなってしまっているし、ましてや、愛情を注いでいると信じ切っているので、その時に相手がマイナスの気持ちをもっているなどと感じ取ることなどできないのです。

 

こういったエゴの部分を徐々に少なくしていくことができれば、もともとピュアな気持ちを持ってはいるので、そちらの方が伝わっていくようになりますが、エゴの原動力で動いていることをピュアな心の原動力で動いていると勘違いしていると、すべての営みは愛情から動いているのだから絶対に間違いがないと信じ続けます。

 

このエゴの部分をどうしていったらよいかというと、1つは、自分の言動によって、相手がどう思っているかを観察すること、そして、もう一つは、自分で自分の面倒をみれるようになることです。

 

1点目はわかりやすいと思いますが、2点目の理由は、自分で自分の面倒をみれない、自分で自分のことを完結できないから、相手に接するわけですが、その接するきっかけとなったものは「愛情」からなので、そのきっかけを、ずっと、自身の言動の源泉であると勘違いしてしまうのです。

 

心の底に愛情があるのは事実なのです。ただ、自分のために何とかして、というエゴ的欲求が「曇り」となって、その本来ある「愛情」の発露を妨げている、と認識して、どんどん自分の中の曇りを取っていきましょう。