依存する老人は疎まれる時代に
昔ながらの人生観で言うと、高齢になって、新しいことをなかなか覚えることができなくなったり、ついていけなくなったり、体力的にもできないことが多くなってきたら、子どもなど、若い人にやってもらえばいい、だから、子どもは自分たちの近くに生活していることが理想だ、という考え方をもっていると思います。
しかし、これからの時代、いや、もう現時点で、そのような考え方は時代遅れで、自分のことは自分で面倒をみる、そして、それができる期間をできる限り長くする(できれば死ぬまで)、ということが求められています。
そんなことは無理だ、年寄りの現状をわかっていない若造の戯言だ、という声が聞こえてきそうですが、そのぐらいの気持ちがない限りは、すぐに子どもなど若い人に頼ったり、頼れなければ怒ったり嘆いたりしたり、もしくは、豊かな生活を送るのを諦めたりしてしまうことになるのです。
実際にやれるかどうかはわかりません。ただ、これくらいの気持ちでいた方が良いと思っています。
そして、これを実現可能にするのが「テクノロジー」の積極的活用です。
一昔前までは、確かに若者がそばにいないと不便なことが多く、生活もままならないことが多かったかもしれません。
しかし、現在においては、たとえば、ネットを利用したコミュニケーション手段はいろいろあるし、オンラインショッピング、代行サービスなど、様々なサービスが存在しています。
自分が何かをしたい、と思ったら、ドンズバではないにしても、何らかのソリューションはあるので、それを活用すればよいのです。
「そのテクノロジーの活用が高齢者はできないから若者が必要なんだ」という反論がまた聞こえてきそうですが、だからこそ、「自分のことは自分で面倒をみる」という「目的」をもつことが必要なのです。
「自分のことは自分で面倒をみる」にはどうしたらいいのか、と考えると、そこでどうしても、その実現のためには、テクノロジーの力を借りる必要があることは明白です。だからこそ、テクノロジーを少しずつでも覚えていこう、ということになるのです。
子どもなど、若者にお願いする時にも、「○○をやって」とか「○○を教えて」という言い方ではなく、「○○をやりたい(知りたい)から、そのやり方を教えて」と言えば、前者の数倍、喜んで教えてくれると思います。
子ども世代の若者は、インターネットやスマホを使いこなしているので、大前提として「そんなものネットで解決すればいいだけじゃん」という思いを持っていることを念頭においておくことが必要です。