人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

古き良き田舎的概念は昭和の時点で終わっている

2022年11月現在で、65歳以上ぐらいの高齢者の方にとっての老後の理想的な生活としては、これまで過ごしてきた地元の家もしくは土地で、自分の子どもたちと一緒に過ごし、子どもにいろんな面倒をみてもらい、自分は孫と遊んだりしながら、のんびり余生を過ごす、というものなのかもしれません。

 

この考え方は一世代前までは一般的な考え方だったと思います。

 

しかし、戦後、テレビ、新聞、雑誌などマスメディアの発達、新幹線、国内航空便など交通機関の発達、さらに、高学歴志向や多様な職種を求めた都市部への人口集中などにより、昭和の終わりには、もう田舎の地元で何世代も過ごし続ける時代は完全に終焉を迎えていました。

 

それでも、親の面倒は子どもがみないといけない、という暗黙の了解で、親も子どもも田舎に住み続けるという選択肢に何の疑問も感じていなかったと思います。

 

そして、時代が流れて、その親の面倒をきちんとみた子どもが高齢者となった時に、自分が親の面倒をみてもらったように自分も子どもに面倒をみてもらいたい、それが人生の最大の幸福である、と思っている方もいらっしゃると思います。

 

ただ、先程もお伝えしたとおり、昭和の終わりにはもうそんな時代は終わっているのです。

 

子どもが、希望通り、自分のいる田舎で過ごすことができるかどうかは、仕事、家族、人間関係も含めて極めて難しい場合がほとんどです。

 

こんなことなら田舎に閉じ込めておけば良かった、と本当に言ってしまう高齢者の方もいらっしゃいますが、先程のとおり、もう戦後まもなくの日本の発展により、田舎から出さない、ということを強制することは不可能なのです。

 

そして、仮に田舎に閉じ込め、自分のそばに子どもを置いていても、仕事がない、とか、結婚ができない、とか、子どもができない、作らない、といった感じで、自分は子どもに面倒をみてもらっても、その子どもは、誰にも面倒をみてもらえない可能性があります。

 

結局、子どもに自分の面倒をみてもらおう、という考え方は、どこかの代でストップしてしまうので、それを最良とする人生、幸せとする人生は、独りよがりで自分さえ良ければいい考え方、とまでは言いませんが、自分の子どもやその先のことまではあまり配慮していない考え方だと思います。

 

結局、昭和以前もそうですし、これからもずっとそうなのですが、自分の面倒はできるところまで、しっかりと自分自身でみる、そして、自分自身で自分の面倒が見れる期間をできるだけ長くできるように、頭と体を鍛え続ける、ということが、子どものためにも、そして、社会のためにも本当に大事なことだと思っています。

 

親が子どもの面倒を見続けるのも、子どもが親の面倒を見続けるのも

、状況によっては仕方のないケースもあると思いますが、自分で自分の面倒をみれるなら、そして、その力があるならば、一生、自分で自分の面倒を見ていくことが、自分も含めて、すべての人と社会にとっての幸福だと思います。

 

子どもに面倒をみてもらいたいと今でも思っている高齢者の方は、自分で自分の面倒をみる「本当の自由」というものの価値について、ちょっとだけ考えてみると良いと思います。