人との違う点はわかるが同じ点はわかりにくい
私たちは、特に親の姿を見て、このようになりたいとか、このようになりたくないといったような思いを小さな頃から持っていたと思います。
そして、特に親の嫌な面に関しては、自分が大人になったら絶対にこのようなことはしない、反面教師にするんだ、と固く決意をすることがあります。
そのように、自己認識があって、本当に反面教師として考え、行動し続けたことについては、大人になってからも、親とは違う考え方や行動を実践できているケースが多いと思いますが、幼心に、親に対してこういうところが嫌だなとか、こういうところが嫌いだなとか、常日頃から心に感じてきただけのことに関しては、先ほどのような反面教師にしないなどの自己意識に基づく決意がないので、大人になって気がついてみると、無意識に同じようなことをやってしまっていることが多いかもしれません。
この、親と全く違う部分に関しては、とても認識しやすく、親よりもいい感じで実行できていると自負があると思いますが、親がやっていたことと全く同じことを自分がしていることに関しては、それを自分自身で認識できていないため、特に親の嫌な部分に関して自分もやってしまっているという、反省をしたり改善したりすることができていないケースが多いです。
今の自分とは異なる、親がダメだった部分や自分が嫌だと感じた部分に関しては既に自分は改善しているんだという思いがあるので、今と自分と同じ親のダメな部分に関してはより気づきにくいのです。
例えば、子供の頃に、親が大声を上げて怒るのがとても怖かった場合、それがとても嫌だったから絶対自分がしないと思っていれば、大人になってからやらないのかもしれませんが、怖かったから嫌だったという感情だけの場合、仮に自分が、親と同じように大声をあげて怒っていたとしても、自分には大声をあげて怒るほどの理由がある、とか、子供に対して大声を上げて怒っているのは愛情をもっているからであって子供を傷つけているわけではない、など、自分は正しいことをしているという認識があるので、親と同じことをしているという認識を持てないのです。
結局、人は、自分は正しく、他人は間違っていると思ってしまうところがどうしてもあるため、他人と違っている部分に関しては、他人が間違っていて自分は正しいということで認識しやすいのですが、他人も自分も間違っているということに関しては、自分では正しいことをやっているという認識でいるので、他人と同じことをやっていたとしてもそれに気づきにくいのです。
それに気づいたとしても、自分の場合はこのような背景の理由があったからというように、他人と同じことをしてしまったことに対する正当化をしようとします。
これをどれだけ真摯に受け止め、自己改善に繋げていくかということがとても重要になってきます。
鏡の法則という言葉がありますが、他人の姿を見て嫌だなと思うこと、よくないなと思うことがあれば、その要素が自分の中にもあるのではないかと思うことが本当の意味で自分を知ることにはとても大切です。
自分と接する人が、嫌そうな感じにしていたり、困った感じになっていたりする感じを受けた場合には、自分では気づいていない嫌な要素が出てしまっている可能性が高いので、それを発見するためにも、他人の姿を見て、自分が感じているる嫌な部分と同じものを自分が持っているかもしれない、という視点が必要です。
特に、親が持っていた要素は、良きにしろ悪きにしろ、何らかの形で自分自身に内包されているという可能性がある、と考える方が無難かもしれません。