人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

ChatGPTなどの生成型AIで作成されたものはつまらない

ChatGPTやNotion AIなどで、文章を作成してもらったり、推敲してもらったり、書き直してもらったりと本当に便利ではあるのですが、出来上がった文章を見ると、やはり「つまらないなあ」と思ってしまいます。

 

何がつまらないかというと、内容が綺麗に一般化、デフォルメ化され、良くも悪くもその人が書いたという尖った部分がなくなってしまうのです。

 

議事録やメール文、冠婚葬祭や季節毎のあいさつ文など、そもそも面白さやその人の特徴的なものが不要なものはそれでいいと思います。

 

ですが、ブログや論文、本気で相手に伝えたい依頼文書などは、良くも悪くも、その書いた人の特徴や雰囲気、臭いみたいなものがある方が魅力的で、読んだ人の心に響いてくると思います。

 

「良くも悪くも」と記載しましたが、本当に「悪くても」いいのです。その文章の表現の仕方の拙さや独特の言い回しなどが、その人そのものを感じるようなものがいいのです。

 

生成型AIで作成された文章、もしくは、書き直された文章は、綺麗なのですが、どうしても、書いた人そのものの感じが失われてしまいます。

 

出版社の校閲などは、おそらく、その筆者の雰囲気などは保ちつつ、誤った部分やより適切にした方がよいものについてのみ修正されていると思いますが、生成型AIのフィルターを通すと、無個性的な感じにまとまってしまいます。

 

Noiton AIは、箇条書きでアイデア出ししたものを文章化することにも非常に長けたサービスですが、その箇条書きしたアイデアが、ちょっと尖っていたり、一般的ではないオリジナリティが強いものであったりすると、文章化された時点で、そのような一番読み手に伝えたいところが薄まってしまうので、もし、生成型AIを活用するとしたら、拙いながらも自分で文章を作成した上で、「文法や表現でより適切なものがあったら推敲して」という感じで、指示する方が、手間はかかりますが、自分の伝えたいことがストレートに表現できつつ、よりしっかりした文章を完成させることができます。

 

大学などの論文で、生成型AIを利用することの問題点が指摘されていますが、論文については、その道の良く知っている人、すなわち、大学教授などからすると、生成型AIで作成された論文を見た場合の感覚としては、悪い意味で「無難なことしか言っていない作品」に見えると思います。そして、論文のほぼ大部分に生成型AIを利用してしまうような、あまりその論文テーマの内容を理解していないような学生からすると、生成型AIで作成された論文は「自分にはできすぎた作品」であるわけです。

 

ただ、結局、その論文という作品は、教授などに提出されるわけなので、その人が納得するものなのか、という観点で言うと、生成型AIで作成された論文は、そもそもつまらない作品になってしまう訳です。

 

そして、つまらないどころか、生成型AIで作成されたものを提出した場合には無効としてしまう動きも出ているので、それを活用することはメリットどころかデメリットとなってしまっているのです。

 

私は、生成型AIで文章を作成していることについては全く否定しないのですが、ある分野や領域について、ある程度分かっている人からすると、読む価値がないつまらない文章になってしまう、ということは、今後も変わらないということを覚えていた方がよいと思います。

 

当たり前ですが、その文章については、誰もが作成でき、誰もが既に見てしまっている可能性が高い、というコモディティ化された新鮮味のないものだからなのです。