相手の立場に立って考えるのは自分のためになる
相手の立場に立って考えよう、と、よく言われますが、とても難しいし、なかなかうまくできません。
なぜかというと、まず、相手はこのように考えているんだな、という相手の心の中の真実を、本当の意味で見極めることは誰もできないからです。
そして、仮に、その相手の心の中に近づくことができたとしても、「その考え方は間違っている」、「その考え方よりは、このように考えて欲しい」という「判断」をしてしまいます。
私たちが相手の立場に立とうとする時、自分自身が相手の立場に立った時のことを考えるため、その自分が持っている物差しと相手のそれとが違えば、相手のことを測り間違えてしまうこともあるし、自分が正しいと思っていることを相手にも適用してしまおうとするわけです。
それならば、相手の立場に立とうとすることそのものが意味がないと思われるかもしれませんが、相手の立場に立とうとすることは、自分との共通項を探していく営みでもあり、同時に、自分と違う部分を見つけて、そこから多くの大切なことを学んでいくことの営みでもあるのです。
その学びとは、自分がまだ経験していないことの場合もあるし、自分があまり感じたことのないことの場合もあるし、自分があまり持ち得ていない感情の場合もあると思います。
すなわち、相手の立場に立って考えることは、自分の経験に基づいて相手を理解し、何らかのアドバイス等をしてあげるような「相手のため」でもあるのですが、上記のような自分にはないものを学んでいくような「自分のため」でもあるのです。
そうなると、逆に、自分が成長するために、自分の勉強のために、そして、自分自身の心のトレーニングのために、相手の立場に立って考えよう、としてみてもいいのです。
そのような、「自分のため」と考えて、手厚くしっかりと相手のことを考えてあげると、結果的に、相手を助けたり、サポートしたり、そして、勇気づけたりすることになっていて、「相手のため」にもなっており、さらにそれが感謝という形でまた自分に返ってきます。
人と接する時には、多かれ少なかれ、相手の立場に立つことが必須なので、いかにそこから学んでいくか、という姿勢を持つと、人間関係が飛躍的に拡大し、向上していくと思います。