親孝行と子供孝行
子どもが成人したり、家庭を持ったりすると、これまでお世話になってきた親に対して、親孝行しないとな、と思うこともあるかと思いますが、私自身は、子どもの親孝行は、子どもが生まれて、その、かわいい赤ちゃんの姿を見れた時、抱っこしてぬくもりを感じた時、さらに言うなら、幼稚園までの愛らしい姿と触れ合えたところで、もう、親に対する子どもの親孝行は終わっているなと感じています。
まあ、子どもが親孝行をもっとしたい、と言って、何かしてくれるならば、それはそれでありがたいところもありますが、基本的には、もう十分、親孝行はしてもらっているので、お親孝行をしようと思っている労力や思いを、その子ども自身や子どもの家族のために充ててほしい、と思っています。
子どもがしてくれた親孝行は生まれてからの可愛さ、愛らしさ、というところであれば、逆に、親がしてくれた「子供孝行」は何かというと、これは、社会人になるまでの生活サポートや育成などです。
そうなってくると、子どもが学生生活を終了した時点で、基本的には、「親孝行」も「子供孝行」も終わっているわけなので、あとは、親も子どもも、同じ「大人」として、それぞれが自立した生活を送ればよいだけで、そこにはある意味、お互い対等な立場で、お互いを尊重する姿勢が必要なわけです。
「孝行」すなわち、相手のためを思いやって相手を大切にするという思いを、相手に押し付けた時点で、もう、どちらかの「孝行」はなくなっています。
すなわち、「もっと親孝行をしてくれてもいいのに・・・」という思いを持ち、それを直接的に子どもに言わないにしても、知らず知らずのうちに愚痴や嘆きなどの態度で示しているとしたら、子どもに自分が求めているものを押し付けている、もしくは、自分が本来やるべきことを子どもに依存している可能性もあるわけです。
そして同時に、子どもに「親孝行」を求めている時には、平たく言ってしまうと、親は、「あなたやあんたの家族にすべてのエネルギーを注ぎこまないで、私にもエネルギーを分けろ」と言っているようなものです。すなわち、「子供孝行」ができていないのです。
逆も真なりです。「自分のことを生んだのだから、面倒みる義務がある」と、成人になっても「子供孝行」を親に訴える子どもは、当然のことながら、「親孝行」が出来ていません。
なので、「孝行」は「求めるもの」ではなく、「自分ができているか」を確認するものだと思って生活していれば、穏やかな家族関係を構築できると思います。
※ちなみに、「孝行」という言葉の意味そのものは、本来、「子として親を大切にする こと」だそうです。なので、「親孝行」という言葉自体が、「頭痛が痛い」と同じ重複言葉なのですが、「親孝行」という言葉が一般的に認知されていますので、あえて、造語的にその反対言葉として「子供孝行」という言葉を使わせていただきました。