人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

前向きに考えることはノーコストなのに・・・

自分の力はこんなもんじゃない、自分でできることは何かあるはず、と、考えることだけはタダなのに、なぜ、そのように前向きに考えることができないのしょうか?

 

結局、何もできなかったり、失敗したりした時に、傷つきたくないから、という理由もありますが、傷つかないように後ろ向きに考えておいて、やっぱりダメだったしょ、とすることに、安心感でも何でもいいのですが何かメリットがあるのでしょうか?

 

自分の力はこんなもんじゃない、自分でできることは何かあるはず、と考えるなんて、現実的に生きていないからではないか、と思ってしまうかもしれませんが、結局、現実的に生きる上でも、自分ならできるはず、という前向きに考えることが、その人の原動力になっていて、自分ならできるはずと思わないで、成功できた人は一人もいません。

 

自分の力はこんなもんじゃない、自分でできることは何かあるはず、と考えているなんて、そんなことを人に知られたら馬鹿にされるんじゃないか、と思ってしまうかもしれませんが、受験や就職活動で落ちる、スポーツでレギュラーになれない、会社で出世できない、リストラされた、などなど、不遇で悔しい状況に陥った時に、その人を馬鹿にする人はほとんどいないし、その不遇で悔しい状況をバネにして、自分の力はこんなもんじゃない、自分でできることは何かあるはず、と奮起して、いろいろなことに取り組む姿は恰好いいのではないでしょうか?

 

自分の力はこんなもんじゃない、自分でできることは何かあるはず、と思い続けて、結局、自分の力量を思い知らされ、できると思っていたことができないと知ってしまう時が来るかもしれません。

 

でも、よくよく考えてみると、それによって、自分がすべて崩壊してしまうわけでもありません。

 

その分野、その領域において、自分の力が発揮できなかっただけで、他の分野や領域であれば、自分が輝ける可能性があるかもしれません。

 

また、どこに行っても、何をやってもうまく行かない場合には、そのレベルを自分と位置付けて、そのレベルの中で、自分の力を発揮して、自分のできることを模索していくこともできます。

 

なので、「自分の力はこんなもんじゃない、自分でできることは何かあるはず」と前向きに考え続けることは、損なことは何もなく、得することしかないのです。

 

ただし、この「自分の力はこんなもんじゃない、自分でできることは何かあるはず」という思いを他の方にアピールしたり自慢したりすることや、前向きに考え続けて肉体的にも金銭的にもボロボロになるまでやり続けることがダメです。

 

この前向きさは自分の心の中だけで熱く思い続けて、うまく行かず肉体的にも金銭的にも行き詰まる前に、違う分野や領域で試してみる、とか、望むレベル感を変えてみるなどの調整は必要になります。