人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

嫌だと感じるものは、その人が嫌だと思っているだけ

最近、空気洗浄機を買ったのですが、そこで面白い現象がありました。

 

うちの空気清浄機は、ホコリ、微粒子、ニオイを感知すると、その強度をランプで示したり、スマホのグラフで示したりできるのですが、この中で、「ニオイ」において、赤ランプが点灯して、その強度が強いことを示すことが多いのは、食事を作っている時です。

 

当然、食事を作っているかどうかは、ニオイで人間でもわかるのですが、ニンニクやちょっと変わった香辛料を使わない限りは、特にニオイが気になることはなく、ふと食事のニオイに気が付いて、「今日はカレーかな?」と思うくらいです。

 

すなわち、人間が大して気にもならないニオイを、空気清浄機的には、「強い」ものとして認識しているのです。

 

これとは逆に、ニオイとして人間が気になるものとしては、ちょっと汚い話で申し訳ないのですが、うちのワンコのう〇このニオイです。なんだか、くさいな、と感じると、犬用トイレにしていることがあります。ところが、このニオイを空気清浄機では赤ランプを点灯するほど強いものとは感知しないのです。

 

汚いですが、空気清浄機の近くに持っていっても赤ランプは点灯しません。人間がそのニオイに気が付き、くさいと不快感を感じているのに、空気清浄機的には、しっかり除去するほどのニオイではない、と判断しているのです。

 

これは、とても面白い現象だなと思いました。

 

空気清浄機的にはニオイの「強度」だけで判別し、そのニオイの「質」は関係ないのです。逆に、人間は、ニオイの「質」に重きを置き、そのニオイが強くても自分が気にならないものは「ニオイが強い」とは感じず、ニオイが弱くても、自分が気になるものは「ニオイが強い」と感じてしまうのです。

 

これは、世の中のすべてのことに通じることなのではないでしょうか?

 

物事の事象に、強い&弱い、大きい&小さい、などの絶対的な事実は存在しているのですが、人間は、それをそのまま絶対的な事実としては受け止めておらず、その人自身の世界観で捉え判断してしまっているのです。

 

典型的な例としては、やはりセクハラやパワハラなどの問題でしょう。ある人には全く気にならなくても、気になる人にはとても気になる、ということです。そして、ある集団やグループにおいて、大多数の人が気にならず、当たり前のように受け止めていることが「常識」なのです。

 

上記の我が家の例でいうならば、料理のニオイは「常識」であり、わんこのう〇このニオイは「非常識」なのです。

 

そして、これは、その人にとって「嫌でないこと」は、その強度がかなり強くても、全く気にならず、「嫌なこと」は、それほどの強度がなくても気になる、ということになります。

 

物事や出来事には良いも悪いもない、プラスもマイナスもない、すべて「中立」もしくは「中庸」である、ということは真実なのです。

 

とするならば、その「中立」であり「中庸」なものに意味付けをしてしまうのは人間なら誰でもしてしまうことなので、もっと気軽に、それを自身の個性を素直に受け止めたり、可能であれば、別の観点に転換して考えてみたりできると、もっともっと人生を楽に生きていくことができると思います。