すべてのことは無意識のため
私たちは、自分のより良い生活のため、より幸せになるために生きていると言ってもいいと思います。
しかし、自分自身が、これが実現されたら幸せになる、これができたらより良い生活になると思っていることは、実際に叶ったとしてもあまり幸せでないことがあります。
それは、自分が本当に願っているもの、本当に望んでいるものと食い違っている場合があるからです。
自分がこうならなければならないという思い込みで願ったり、もしくは、欲していたりしている場合があるからです。
では、私たちの生活の中でどのようにしたらより良い生活やより幸せになるような方法はあるかと言うと自分自身のために物事をするのではなくて全部無意識ウニヒピリのためにあるということです
すなわち、無意識(ウニヒピリ)が、よりよい生活を送れる、より幸せになれる、より開放感をもって過ごせる、よりくつろいで過ごせる、といったように、無意識(ウニヒピリ)が喜ぶと思うことをしながら、日々の生活を送っていくのです。
世間や人の評価関わらず、本当に自分のやりたいことをやる、とか、誰も見ていなくても親切なことや徳のあることをする、とか、誰にも絶対にバレないとわかっていても、嘘をついたり悪いことをしない、というようなことは、意識下の自分自身がそれを喜ぶかどうかは分からないし、もしくは、損をした気分になったりするかもしれませんが、無意識(ウニヒピリ)が喜ぶことなのです。
今までの人生においては、意識下の自分が喜ぶことを中心にやってきたと思いますが、これからは、すべてのことを、無意識(ウニヒピリ)が喜ぶようにやってみるぐらいの気持ちが大切です。
無意識(ウニヒピリ)が喜ぶことをしても、自分自身は喜べないこともあるのではないか、と思うかもしれませんが、無意識(ウニヒピリ)が喜んでいることは、結局のところ、本当の自分自身が喜んでることなのです。
すなわち、無意識(ウニヒピリ)がくつろいでいるならば、自分がくつろいでることだし、無意識(ウニヒピリ)が楽しんでいるのであれば、自分自身が楽しんでいることであるし、無意識(ウニヒピリ)が好きなことであれば、自分自身も好きなことだということです。
意識下にある「自分自身」というものは、本当に小さなもので、「無意識」という大きな「自分自身」のほんの一部分でしかありません。
その大きな無意識(ウニヒピリ)が、喜んだり、楽しんだりしているということが、本当に自分の喜んだり楽しんだりしていることですので、最初のうちは、それをやったとしても自分自身がそれほど喜んだり楽しんだりしていないと感じるかもしれませんが、徐々に無意識(ウニヒピリ)と意識下の自分の感じ方が一致するようになってきます。
今起こっている、嫌なことや不具合といったものは、この無意識(ウニヒピリ)の感じ方と自分の意識下の自分の感じ方が食い違ってるところから起こっている、無意識(ウニヒピリ)という存在を無視した結果生じているものである、ということを忘れずに、無意識(ウニヒピリ)の存在を感じてあげるようにしてみてください。