人生の勝ち負け
人生を「勝ち負け」の観点から見つめると、各年代において、私たちは常に競争にさらされているわけですが、勝ち続けるばかりの人、負け続けるばかりの人というのは少なく、どこかの年代では勝っていて、どこかの年代では負けている、という感じだと思います。
幼稚園や学校に行く前の子どもの頃は、親に愛されたい、認められたい、と兄弟で争うことがあります。
幼稚園や学生時代は、勉強、スポーツ、容姿、家柄などで、子ども同士の勝負があります。
社会人になったら、学歴、収入、会社のステータス、地位(ポストや役職)などで優劣をつけたり、上下関係ができたりします。
家族を持つ大人としては、配偶者の収入や容姿、子どもの学歴、家や車、所有物の豪華さなどで、他の家族と比較したりします。
このように、人生を「勝ち負け」の観点で捉えるならば、「勝っている」立場の時もあれば、「負けている」立場の時もあると思いますが、実際には「勝っている」人はずっと勝ち続けているように感じますし、「負けている」人はずっと負け続けているようにも感じてしまいます。
しかし、例えば、社会生活的には大成功をおさめていて誰もが羨む生活をしている「勝ち組」と思われる人も、恋愛では一番好きな人を配偶者にできないとか、家族との関係は冷え切っているとか、「負けている」部分もあるかもしれません。
また、会社生活では大成功を収めた人も、体に無理をし過ぎて、非常に不健康な状態になっている人もいると思います。
それがもとで、入院が長引く、もしくは、命の危険性まで出てくるとしたら、仕事はそこそこで大した成果を上げてこなかった人よりも、健康の観点で「負けている」と言えるかもしれません。
そして、仕事一筋だった人が、退職後に、やりがいや生きる希望を見出せずに、つまらない人生を送ることになるとしたら、あまり仕事をしていなくて低所得だったとしても、趣味などに大いに時間を費やして、日々楽しく充実していきて来た人の方が、仕事をやめた後も充実感を感じて生き続けている点で「勝っている」と言えるかもしれません。
さらに、仕事一筋で、会社員の時には、毎日、会社に行っていて家を不在にしていたり、家族との接触時間が少ないことが当たり前だった人が、退職後に毎日家にいて、家族にばかり頼っている「かまってちゃん」になり下がり、家族の中で邪魔者扱いをされてしまった場合などは「負けている」と言えるかもしれません。
そして、長生きする過程で、どんどん友達や仲間が亡くなっていくと、どんどん孤独になって、時が経つほどに寂しくなっていくと、その間はものすごく「負けている」気分になってしまうかもしれません。
結局、人生における「勝ち負け」は、社会的生活における「勝ち負け」と捉えやすいですが、生まれてからずっと不遇で不運な人生を歩んできて、社会的にはことごとく負け続けていたと感じたとしても、人生の最後の最後で、温かい家族と友人に囲まれ、穏やかに楽しく生きつことができている場合には、お金も容姿も社会的地位も才能も何もなかったとしても、最終的には「勝ち組」なのかもしれません。
レベルの高い学校、大会社に入り、高い地位に付く、という将来的な成功を目指して実現出来たら「勝ち組」かつ「幸福」であるとしたら、退職後の70代、80代、90代、その時々の年代において、どのような状態になっていたら「勝ち組」かつ「幸福」なのか、そして、その状態になっているための道筋を今歩んでいるのか、ということを、ちょっとだけ考えてみるといいと思います。
もっともっと日々一生懸命やらないといけない人もいるかもしれませんが、日本人の多くの人が、もっとゆったり楽しんでおおらかに生きた方が最終的な「勝ち組」かつ「幸福」をつかめるのかもしれません。