愚かな自分に今気づけたならそれでいい
私は、今でも、昔の自分、そして、時に数日前の自分に対しても「なんて愚かだったのだろう」と反省することが多いです。
特に、今の自分と比べると、昔のもっともっと未熟な自分がやってきたことが、何て恥ずかしいことばかりなんだろう、とか、その時自分と触れ合った人たちは、自分のことをどのように思っていたのだろうと思うと、心が苦しくなったりする場合もあります。
そして、愚かだった昔の自分に気付くと、さらに、今の自分のダメなところや愚かなところまで気になるようになります。
また、「こんな年になって、自分の愚かさに今さら気が付くなんて」とか「もっと若い時に気が付いて、もっと大人な対応ができていたら」などと後悔もしてしまいます。
特に自分の周りで円熟した落ち着きをもった人たちに囲まれている中で、自分だけが未熟で幼稚な人間に感じる時には、自己嫌悪の度合いも大きくなります。
でも、愚かな自分に、今、気付けていることはとても重要なことです。
世の中の、困った人たちや厄介な人たちというのは、自分の愚かさやダメなところに気が付いていません。
周囲との軋轢や嫌悪感などを感じてはいるので、自分が幸せではない状態であることは認識はしていても、それは周囲が愚かであって、自分が愚かではない、自分が悪いわけではないと思い込んでいて、改善すべきは、そして、何とかすべきは周囲である、と本当に信じ込んでいる人もいます。
もしくは、その愚かな自分やダメな自分に気付いていなくて、ずっと未熟な対応を続けていても、優しく大人な周囲の人がうまくスルーしながら付き合ってくれているため、その困った人や厄介な人は、違和感も不幸な感覚も感じないまま、自分の愚かさを見つめ直す機会さえ持たないまま年齢を重ねてしまう場合もあります。
そういう人たちと比べると、恥ずかしくて苦しくなるくらい、自分の愚かさを痛感できているということは、悪いことではなく、そして、人生100年時代と考えるならば、60歳でも70歳でも、それに気が付くことが遅くないのです。
それに気が付いて、反省して、謙虚になったり、人に穏やかに対応できるように自分を変化させていくことができるなら、70歳からでも、あと30年も、より良い自分で過ごせることができるのです。
自分の愚かさに気が付くことは苦しいことですが、気付けないままいることが本当にまずいことだと考えて、その苦しさを、ちょっとだけプラスの気持ちに転換していければよいかなと思います。