人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

自分の土俵で戦う①

随分前からですが、漫画やアニメのバトルものについて、ただひたすら総合的強さを高めて悪い奴に勝つ、というテイストのものが少なくなっていると思います。

 

どういうことかというと、例えば、1980年代に大人気だった王道バトル漫画の「ドラゴンボール」では最強の敵を倒した孫悟空に勝てるキャラはいないし、「北斗の拳」のケンシロウラオウに勝った時点で史上最強になったわけですが、この2人も敵も含めて、同じ土俵の中で戦い、勝ち抜き、また、同じ土俵の中でさらなる強い敵が現れて、その敵に勝つ、ということを繰り返していました。

 

すなわち、戦いは、同じ土俵の中でのパワー比べなのです。

 

それと比較し、上記の2作品より遅れて出てきた「幽遊白書」では、最初は同じ土俵内で力の強弱だけで主人公たちは戦っていましたが、後に、肉体的なパワーは普通の人間と同じく貧弱なのですが、相手を自分のテリトリーの中に誘い込み、そのテリトリー内で、自分の得意とする能力でしか戦えない状況に追い込む、というバトルが出てきます。

 

例えば、その誘い込んだテリトリー内で、「〇〇を言ってはいけない」というルールを作り、そのルールに違反した人は、どんな強者であっても魂が抜かれてしまう、というような感じです。

 

その後も、いろいろな漫画やアニメが出ましたが、主人公やボスキャラなどは王道系の強さを保持して、読者に王道バトルを楽しんでもらいつつ、仲間や途中で登場してくる敵は、それぞれ自分に適した独自の土俵で、自分の得意技を出して戦うように、様々なバトル形態を楽しんでもらう構成にする場合があります。「僕のヒーローアカデミア」などはそんな感じではないでしょうか。

 

また、「黒子のバスケ」のように、王道系バトルは主役以外の準主役系キャラに任せて、主役そのものは他のキャラとは全く別領域で力を発揮するものもあります。

 

また「HUNTER×HUNTER」のコムギのように、突出したゲームの強さと情熱だけが、すべての人間と怪物(キメラアント)の圧倒的な強さを凌駕した、というより、異次元の強さにより勝負そのものが成り立たず、ただただ彼女の世界に引き込まれた感じになっているものもあります。

 

漫画やアニメのバトルものについては、それぞれが自分が優位となる土俵で戦うこと、そして、その土俵で戦うことで意外にも苦戦してしまうことなどが、見ている読者に楽しみやワクワク感を与えますが、実際の我々の生活でも、これは同じことが言えるのではないかと思います。

 

我々の実生活の王道バトルは、

  • 勉強
  • 運動
  • 異性(もてるようになる、つきあってもらえる)
  • お金
  • 社会的ステータス

など、様々ありますが、さらに、例えば運動で言えば、王道はサッカーや野球になりますし、さらにサッカーでも、選手だけでなく、戦術に詳しい、海外も含めてチームや選手に詳しい、応援が好き、道具にこだわりがある、などなど、王道の中でも支流が山ほどあります。

 

サッカー選手として活躍する、という王道中の王道での活躍を夢見る人が多いと思いますが、サッカー繋がりでいろいろな分野があり、そこに本人の本当の興味があったり、力を発揮する場所もあるわけです。

 

ただ、どの分野でも、王道中の王道がわかりやすく、かっこよかったりもするので、その路線からちょっと外れて違う分野、違う領域で、もっと興味があったり、もっと力を発揮できる自分があるかどうかの可能性を探す発想がなかなか出てきません。

 

その結果、みんながやっている、みんなが重要視しているような場所や環境で、自分が本当にやりたいことや本当に自分にマッチしていることに気が付かないまま、時間を浪費し、どうしてもうまく行かないことがわかってから慌てて違う道を見つけ出すか、もしくは、そのような道を探すのをあきらめてしまったりします。

 

自分に適した土俵を見つけるのは簡単ではないですし、今いる環境が、今は自分に適した土俵なのかもしれないので、その見極めには多少の苦労や我慢も必要な時があります。そのため、自分に適した土俵がどこにあるかを、今の環境、そして、別の環境含めて、バランスよく模索していく必要があります。

 

私は我慢強い方なのですが、我慢強い人は、ある意味、要注意だと思っています。

とうのは、自分に適した土俵でなくても、我慢して頑張れてしまうからです。さらに、そこで努力して、そこそこの力をつけることができれば、そこそこの力は発揮できてしまうからです。

 

もっともっと自分の力を発揮できる場所はどこなのか、もっともっと自分が楽しく明るくなれる場所はどこなのか、日々の生活を真剣に生きていく中でも、この考え方だけはいつも心の中にもっておく必要はあると思っています。