人生100年でゆっくりじっくり成長していこう!

「人生100年時代」を「急がなくてもゆっくりじっくりと成長できる時代」、「いつから始めても遅くない、いつからでも始められる時代」、「より多くの楽しく豊かなことを経験できる時代」と捉えて日々過ごしていける方法をみなさんと共有していきたいと思います。

大勢の人が集まるものに、本当はみんな興味を持っていない

私は、人で混み合うところが大嫌いです。

 

ちょっと興味があるようなイベントや場所であったとしても、混雑しているというだけで行く気がなくなります。

 

混雑したところが嫌いなだけに、そのような群衆が押し寄せるイベントなどで、転倒事故などが起きたり、いざこざで暴力事件などが起きたりしているニュースを見ると、「わざわざそんなところに行かなきゃいいのに・・・」と思ってしまいます。

 

私は、このような、多数の人が押し寄せるイベントや場所などについて、それを本当に好きで、何が何でも行かないと気が済まない、と熱望している人は、非常に少ないのではないかと冷ややかに見ています。

 

その見極め方としては、

  • 自分一人だけでも、恥ずかしくなければ、もしくは、浮いていなければ、そのイベントや場所に行くか
  • そのイベントや場所に行ったことやその時の様子を、誰にも話してはいけないし、誰にもその時の写真や動画を見せてはいけないとした時に、それでもその場所に行くか

です。

 

要は、自分以外の誰とも共有・共感できない状態でも、そのイベントや場所に行くほど、自分自身でそのことに興味を持っているのか?ということです。

 

これにYESと回答できる人だけが、それに参加した場合、かなり参加人数は減るのではないかと思っています。

 

SNSの影響により、「自分ってこんなことしているんだ」とか「自分ってこんなところに来ているんだ」ということをアピールしたい人が増えています。

 

「映え」を求めているうちに、本当に好きなものが見つかった、とか、何度もリピートするようになった、というのであれば、その「きっかけ」としてはとても良いものですし、「映え」を求めていなければ全く引きこもっていた、というのであれば、それもアクティブになる「きっかけ」となっているのであれば、それも良いと思います。

 

ただ、異様に混み合っているイベントや場所の様子を見ると、ただただ「映え」を求めた空虚な「共感」をしたいがためだけに、熱狂しているようにも見えてしまいます。

 

オタク的なものでも何でもよいのですが、ものすごく興味を持っていることやハマっていることがあって、なぜそんなところ行くの?というところに、誰にも知られずひっそりと行き続けていて、そのことを恥ずかしそうに話すような感じの人の方が、私はすごいなと思ってしまうし、人生楽しんでいてうらやましいなあと思ってしまいます。