負けは今の力の認識であっても弱さの証明ではない
負けは今の力の認識であっても弱さの証明ではない。
君たちの何もここで終わらない。
これからも何だってできる。
「ハイキュー!」という高校バレーボールの漫画での言葉です。
全国ベスト8での戦いに敗れた選手たちに、監督がかけた言葉ですが、とても心に響く大好きな言葉です。
このブログのタイトルである「人生100年かけてゆっくりじっくり成長していこう」という裏には、それまでの人生において、数多くの「負け」があることを前提としています。
でなければ、これからの人生において、ゆっくりじっくりと成長していこう、なんて言いません。
たぶん、今までの人生は最高だった、ハッピーだった、勝ち続けた、という人が、今後の人生のことを言うなら、たぶん、違う言葉が出てくると思います。
というより、今までと同じようにやればいいだけなので、言葉さえも出てこないのかもしれません。
でも、「負け」から生じるであろう「挫折感」とか「屈辱感」とか「悔しい思い」とか「つらい思い」とか、そのような感情は、今の力が足りない時に感じるもので、その感情を無視せず、しっかりと受け止めてあげるのが理想なのですが、苦しくてなかなか受け止められません。
受け止めようとすると「弱い自分」も同時に見つめ、感じてしまうからです。
でも、この言葉は、「負け」は「自分の弱さ」ではないと語りかけてくれています。そして、今の自分が足りていないだけで、いつでも何でもやることができると励ましてくれています。
これから可能性がある若い高校生に語りかけられた言葉ですが、どの年代にも通ずる言葉だと思います。
どんなに年をとっても、どんなに負け続けた人生であっても、私たちの何もここで終わらないし、これからも何だってできるのです。
今の力量をしっかりと認識し、少しずつでも歩み続けることができるなら、それは決して「弱い」ことではないのだから。